足裏の感触 井椎しづく
家の前には
父が作った
縁台があった
鍵を忘れた
わたしが座る場所
ホームへの
送迎バスに乗り込めば
頭の中で
がんがん鐘がなる
おとうさん、おとうさん、おとうさん
「帰るね」と手を握る母に
「だめだよぉ」と言った
わたしには言わないのに
母には
言った
何がこんなに
切なくさせるのか
わからない
父の瞳が
私をとらえたとき
わたしの娘の
名を問えば
うつむいて
黙っている
わからないんだね
孫の名前は
忘れても
わたしのことは
「ひとちゃんだろ?」
と即答
幼い頃
父に
べったり甘えてた
あれはきっと
一生分だったんだ
どんなに
とんちんかんだって
いるだけでいいひと
その存在を
教えてくれた人
お腹にあたる
足裏の感触
今も暖かい
父の上で
飛行機になった
しわの寄った
粒ガムの包み紙
伸ばしながら
父の手の甲を
思い出している
まだ生きてるのに
いざってときのため
紙ッペラに
サインする
いざって何よ 何よ
足の
爪を切ろうと
小指をつまんで見たら
そこに
父がいた
まっ黒で
見えなかったはずの
命の砂時計
突然
透明になった
老人病院の待合室は
時間の流れがゆっくり
車いすの人の手を
ヘルパーさんが
握ってあげている
もういいよって言ったら
ああそうかいって
逝ってしまいそうで
まだまだだめって
引きとめてしまう
失うことを想像すると
怖くて涙がにじむ
でもずっと
心の中に
体の中にいるはずなんだよね
父の肩をなでれば
骨格標本のよう
骨に
古い
皮がついている
いっぱい泣いたから
もう
いいや
私の中に
父はいるもの
いくつかのものは
見えなくなった
少しのものが
光って見えた
大事な人を失ってから
私のことを
思ってくれた
まわりの人の
行動すべてが
私という野の花です
あなたが
病床についたら
手を握り
頬をなでて話しかけるでしょう
私の母がしたように
2015年8月25日午前10時8分 父永眠。