2. 歌を読む~~共感を超えた先にあるもの  2005/02/23

◆最初はいいな、から始まった

ここ一年くらい歌を「読む」ことについて、ずっとあれこれ考えている。その間、他の人の作品を読むことに対して、量も質もだいぶ真剣に取り組んできたように思う。
初めて歌会へ参加したときは、プリントを渡されて、「いいなと思うものに点を入れてください」といわれたような気がする。それからわたしは、かなり長い間、自分の「いいな」だけを頼りに点を入れていた。
あれから5年。このごろは「いいな」=共感だけでは狭いと思うようになってきた。
好き嫌いだけでない読み方をしたいとずっと思い続けてきた。

◆歌に向き合う

一首の歌に向き合うとき、自分の持つ100%の観察力、想像力、洞察力、推理力、を駆使して、できるかぎりの可能性を見つけ出して、歌から受けるメッセージを再構築したいと試みてきた。
前提としてあるのは、心をまっさらにして向き合うこと。詠み手の言挙げに静かに耳を傾け、素直に自分の心に投影してみる。じっくりと受け入れ、認めるという過程すべてが、歌を読むことに含まれている。もっともわかりやすい歌は、苦労しないで心に響くだろう。それが強く響くか、平凡に響くかは分かれるところであるが。

「人は何を大切にしてるんだろう」
「自分は何を大切にしてるんだろう」

それを模索することで、自分の価値観を再認識することになり、間違った方向を正したり、見識を広げることになるだろう。

◆評もトレーニング?

歌会にでると、自分の感想だけではなく、他の歌詠みの方たちがどうその歌を読んだのかを聞くことができる。ネットの掲示板で評を述べ合うサイトも生まれている。
自分の読みとどう違うのか、あるいは同じか。あたらしい視点、発見。そして表現力。そうそう、そう言いたかった、と思うこともある。感想を言語化するのも、創作上のトレーニングになるような気がする。つまりは思いを表現することが、歌を詠むことなのだから。

◆共感だけじゃない、その先にあるもの

自分が共感するものなんて、ちっぽけな範囲に過ぎない。今までの人生での経験、知識をどんなに駆使してもやっぱりそれは小さなものだと思う。
もうひとつは、好き嫌いで判断してしまうと、大切なものを見逃してしまう可能性がある。
自分がキライでもいいものは、ある。
それは、正当に評価されるべきではないかと考える。
また、時間が経って初めてわかってくる歌もある。
むしろ、自分にはないものを感じる歌こそ、よくよく見つめるとおもしろい発見があると思う。
新しい考え方、新しい見方、そういうものがきっと潜んでいる可能性がある。
自分と違う価値観との出会いこそ、今までの自分の既成概念が壊れるような出会いこそ、他の人の歌を詠む喜びの一つだと思っている。

2005/02/23
2005/02/27 一部修正